サイレンススズカ

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サイレンススズカ

サイレンススズカは、1994年5月1日、

北海道平取町の稲原牧場で生まれました。

父は、アメリカ合衆国生まれの競走馬&種牡馬はサンデーサイレンス。

母は、父同様、アメリカ合衆国の競走馬で日本では繁殖牝馬であるワキア

兄弟は3頭。中でも、ラスカルスズカは、

日本の元競走馬でブリーダーズ・スタリオン・ステーションで
繋養されていた元種牡馬です。

中央競馬4勝。天皇賞(春)2着・阪神大賞典2着と、安定した成績を残していました。

デビューは1997年2月1日。
2着のパルスビート(後に重賞2着3回)に7馬身差をつけての圧勝。

その勢いを駆って2戦目にもかかわらず弥生賞に出走。

しかし、レースではゲートをくぐってしまい外枠発走となった上、
約10馬身の出遅れをした結果、ゲートの再試験と20日間の出走停止処分が下されました。

その後、トライアル競走であるプリンシパルステークスに出走し、勝利。

東京優駿への優先出走権を確保したのです。

しかし、東京優駿では9着に敗れ、続いて秋初戦の神戸新聞杯も2着に敗れました。

次走は天皇賞(秋)を選択し、鞍上はベテランの河内洋に変更。

天皇賞でも敗退ましたが、ハイペースで逃げたにもかかわらず、

3着のジェニュインからは僅か0.1秒差しかなかったこと、
後の大逃げスタイルの原型を確立させたこと等、意味を持つレースであったそうです。

4歳時は、重賞の掲示板に1度載っただけの成績でした。
しかし、境勝太郎元調教師は雑誌で「来年はGIを勝てる馬だ」と発言。

5歳になった1998年。
年明け初戦、東京競馬場でのオープン特別バレンタインステークスを4馬身差の圧勝。

その後、中山記念を1 3/4馬身差で勝利し、重賞初制覇。

小倉大賞典も3馬身差で完勝し、重賞を連勝。

続く金鯱賞では、出走馬が非常にハイレベルであったのに関わらず大差勝ち。

その後、宝塚記念で初のGI制覇の座を手にいれたのです。

秋初戦の第49回毎日王冠は2頭の無敗の外国産4歳馬が出走するという
ハイレベルなメンバー構成となりました。

勝ち時計1分44秒9とコースレコードに肉薄するタイムで快勝。
そして、最大の目標であった第118回天皇賞(秋)。
「アクシデントがない限りサイレンススズカは負けない」という
意見が大勢を占めたのにも関わらず、天皇賞のレース中に、突然の失速。

左前脚手根骨粉砕骨折発症により、競走を中止されました。

デビュー以来最高といっていい状態で出走した
サイレンススズカでしたが、結局、予後不良と診断され
安楽死の処置がとられたのです。

サイレンススズカ・プロフィール

品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 栗毛
生誕 1994年5月1日
死没 1998年11月1日(4歳没・旧5歳)
父 サンデーサイレンス
母 ワキア
母の父 Miswaki
生国 日本(北海道平取町)
生産 稲原牧場
馬主 永井啓弐
調教師 橋田満(栗東)

生涯成績 16戦9勝
獲得賞金 4億5598万4000円+23万1000香港ドル